建築士
喜んでいただける
「仕事」を提供すること。
有限会社宮本建築工房
宮本 篤さん 54歳
Miyamoto Atsushi
出身学校 | 宇和島市立城東中学校 愛媛県立吉田高等学校卒 |
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ご縁を大切にしていけばチャンスや自分のやりたいことにもつながって行きます。
18~24歳まで6年間修行
父親が大工だったので、小学校の時は小づかいをもらえるのがうれしくて、手伝いをしていましたが、父が体を壊し、大工の仕事ができなくなりました。物をつくる職人に憧れて、中学を卒業したら大阪で板前(料理人)になるつもりでいましたが、うちの家系は祖父も叔父もいとこも大工をしていたこともあり、吉田高校の建築科に進みました。
高校卒業後板前はあきらめて、大工を目指して地元の工務店に入り、18~24歳まで6年間修行しました。当時「仕事は見て盗んで覚えろ」という時代で、親方には直接聞けないことも、幸い兄弟子がいたので、仕事からお酒の飲み方までいろいろと教わりました(笑)。最初は月給3万円。それが5万円になり、10万円となり、4年半経った頃に、当時の大工の日当8,000円となり、給料を20数万円もらった時は一人前と認められたことがうれしくて、畳の上に並べて「これでいつでも結婚できるぞ!」相手さえいれば…と思いました(笑)。早く一人前になることに一所懸命でしたので、修行がつらいと思ったことはなく、楽しい方が多かったように思います。
施主さんの思いを形にする仕事
24歳の時に親戚の紹介で増築工事を請け負いましたが、近所の人が「うちもやって」「こっちもやってや」と。ありがたいことに声を掛けていただき独立しました。その後、人を雇い、道具を揃え、作業場を構えることとなりました。建築とは、施主様の思いを聞いて、それを形にする仕事です。打ち合わせを重ねて、求めていることを見極めながら提案・設計を行います。施主様に満足していただけることが一番の喜びですね。
ピンチだったのはリゾートホテルの改装工事で、営業しながらの作業となり、最初はお客様がチェックアウトした時間にしか工事にかかれなくて、20人程の職人が現場に入っていましたが、「これでは間に合わんやろ」と。プレッシャーがかかる中、最終的に泊まり込みの作業で工期内に完成させることができました。多くの人に支えられているのだとつくづく感じました。 大工は天職だと思います。板前になりたかった自分が大工の道に進んだことは、人との出会い、縁だと思います。その『ご縁』を大切にしていけばチャンスや自分のやりたいことにもつながって行きます。自分の思いを信じて歩んで行ってください。
Q.子どものころの夢は?
A.板前
Q.仕事内容は?
A.間取り等のプランを提案し、設計図を作成。それを元に建物を完成させる。
Q.必要な資格は?
A.建築士(一級・二級・木造)等
Q.うれしかったことは?
A.施主さんに喜んでいただけたとき
5:00 起床
8:00 始業
12:00 昼食
17:30 終業
18:30 夕食
19:30 事務
22:30 就寝
住所 | 〒798-0045 愛媛県宇和島市大超寺奥2区 |
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創業 | 1987年2月 |
従業員数 | 4名 |
URL |
原木(丸太のまま)を買って製材する程、木が好きです。自分の年よりも長く育ってきた世界に1本しかないその木を「どこに使おうか?」とあれこれ思案することが楽しみです。