船長
安全航海と乗組員の
信頼を得ること。
あすか汽船有限会社
立道 明さん 49歳
Tatemichi Akira
出身学校 | 崎戸町立平島中学校(長崎県) 長崎県立長崎水産高等学校卒 |
---|
「努力に勝る天才なし」
船長になるのが夢でした
長崎県五島列島の周囲約17kmの小さな島で生まれました。父が伊勢エビなどを獲る漁師だったので、将来は漁師になりたいと思っていましたが、その父から「公務員になれ」と言われました(笑)。安定した職業に就けということだったんでしょう。小さい頃からよく父の漁船を操船していたので、船乗りを目指して地元の水産高校に進みました。将来、船長になるのが夢でした。卒業後、広島の海運会社で甲板員として5年間働き、海技免状取得に必要な乗船履歴を積んで、23歳で四級海技士を取得しました。15年航海士として乗船し、38歳で念願の船長になりました。その船が新造船だったので感激しました。船長になって10年になります。
今、福山(広島県)と市川(千葉県)間を行き来する定期航路で、造船や建築などに使う鋼材を運んでいま
す。一航路36時間で、乗組員は6名です。船の通行が多い瀬戸内海や浦賀水道(東京湾)を通るので、安全には十分気を使っています。大切な船なので、着岸する時は傷めないように慎重に行います。
天職だと思っています
尊敬するのは父です。真面目で熱心で、島に伊勢エビの刺し網漁を持ち込んだのも父で、その背中を見て育ちました。兄が今、漁師を継いでいます。好きな言葉は、小学校6年の時に同級生みんなで選んだ「努力に勝る天才なし」です。船長になれたのもこの言葉のおかげだと思っています。
船長として安全はもちろん、リーダーとして乗組員の信頼を得られるよう日頃から努めています。心がけているのは人の話をよく聞くことですね。先輩や同僚の話に耳を傾けて仕事を覚え、切磋琢磨しながら技術を磨いてきましたし、今も継続しています。仕事は2か月乗船して20日の休みです。特に趣味はないので、休暇中は庭いじりをしています(笑)。乗船中は運動不足になりがちなので、船の中をよく歩いています。今乗っている船は全長が約100mあり、船内は階段も多いので、結構、運動になります。船が大好きなので、乗船中がバケーションみたいなものです。給料にも満足していますし、この仕事は天職だと思っています。死ぬまで現役を続けたいですね。
Q.子どものころの夢は?
A.漁師
Q.仕事に就いた理由は?
A.子どものころから海が好きだった
Q.どうすればこの仕事に就くことができますか?
A.水産高校、海員学校などの専門的な学校に行く
Q.うれしかったことは?
A.38才で船長になり新造船を任されたこと
5:00 起床
7:00 勤務
12:00 昼食
20:00 勤務
24:00 就寝
住所 | 〒794-0026 愛媛県今治市別宮町8丁目2-25 |
---|---|
創業 | 1961年 |
従業員数 | 船員44名・陸上4名 |
URL |
当社はRORO船(パレットに鋼材コイル積んで専用の車で荷役をする)2隻と、特殊貨物船(長尺レールやH型鋼をUラックと呼ばれる荷役治具に入れてユニットで輸送する)1隻と一般貨物船1隻を所有している内航海運会社です。主要貨物は鋼材で、創業56年の経験を生かして安全で効率的な運送に努めております。また、若手船員の育成にも力を入れております。